大学生活日記

大学生活の出来事や日々の日常で感じたことを書きます。コメントくれたら嬉しいです。

自分たちの周りを変人と認定する行為について

皆さんの周りには

 

「俺の友達変人しかいないわ~」

「俺のクラス変わった人しかいないわ~」

「俺の所属してる学部の人たち、濃いメンツだわ~」

 

などのセリフを発する人物はいないだろうか。

自分は上記のようなセリフを生まれてから何回も聞いてきた。

そのセリフに対しての返答はいつも

「確かにな!変なやつばっかりだよな!」と返すのだが

心のなかではひそかに

(いや別にそんなことはないだろ・・・)

と思っている。

その主張は個人的には間違っているのではないだろうかと感じる。

その理由を述べたい。

 

そもそも普通の人は存在しない

そもそも「普通」の人なんて存在するのだろうか。

人間誰しも変な点を持っており「完全なる普通」の人間など存在しない。

人間として生まれてきた以上、必ず何かしらの個性や、自分独自の価値観、考え方はその人それぞれが持っているに違いない。

(そもそも「普通」という価値観自体時代や地域によって変異するので考えること自体が無意味ではないだろうか)。

そう考えると全ての人間は変人ということになり、彼らの主張である

「自分の周りは変人が多い」

は一見、正しいように思え

「そもそも普通のひとは存在しない」

という意見は彼らの主張を肯定する根拠になりえるのかもしれない。

しかし、彼らがこの言葉をいうときには必ずその背景に

「普通の人間がいて、それの反対の概念として変人がいる」

というものが存在している。

なぜならもし私が先ほど主張したように

「この世の全ての人間は変人である」・・・A

というのを前提として

「自分の周りは変人が多い」・・・B

と主張することはないからだ。

Aを前提としてBを主張することは当たり前のことであり、わざわざ当たり前のことを口に出して発言する人間はいないだろう。

つまり彼らが

「自分の周りは変人が多い」

というセリフを発するときに正確に言えば、主張自体は正しいのかもしれないが、前提条件は間違えているだろう。

 

前提条件を間違えてしまう理由

ではなぜ人は前提条件を間違えてしまうのか。

それには二つ理由があると考える。

一つ目の理由としては関わったことのない人間や、関わりが薄い人間は普通の人に見えるからだ。

関わったことのない人間に対してその人の変わっているところを見つけるのは難しい。

その結果普通の人間が存在するように錯覚してしまうのではないだろうか。

逆に自分の周囲に存在する関わりが深い人物に対して変わった点を見つけるのは容易である。

例えば、その人の変わった行動や性格上のおかしな点を一つ見つけるだけでそのひとを変人認定できるだろう。

そうして自分の周囲の人は変わっているという錯覚が生まれるのではないだろうか。

 

二つ目の理由としては単純に自分たちが変わっていると思いたいからではないだろうか。

人間は大抵「普通」と呼ばれるよりも「変わっている」と思いたい生き物だろう。

「普通」という存在は生きやすそうではあるが、面白くないという印象があるからだ。

ということで自分たちの集団や周りを「変わっている」と自認するのではないだろうか。

 

ここまで偉そうに語っているが自分も

「あいつまじで変人だわ~」

などと言うことがよくあるのでこれらのセリフはこれからもぜひ皆さんに使ってもらいたい。

そもそも日常会話でここまで考える人物はいないと思うし、いたら気持ち悪いだろう。